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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14253号 判決

原告 有限会社 ヴイ

右代表者代表取締役 平原一雄

右訴訟代理人弁護士 清野順一

被告 丸源株式会社

右代表者代表取締役 川本源司郎

右訴訟代理人弁護士 阿部眞一

主文

一  被告は原告に対し、金一二一〇万円及びこれに対する昭和五六年四月二一日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文第一、二項同旨及び仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は飲食店の経営を目的とする有限会社であり、被告はビルディング、土地、建物の賃貸借・管理等を目的とする株式会社である。

2  原告は、昭和五三年一〇月二八日、被告から中央区銀座八丁目七番四号所在丸源ビル第二十一、鉄筋鉄骨コンクリート造地下二階地上九階建建物のうち地上五階部分約一一坪(以下、本件建物部分という。)を次のとおりの約定で賃借した。

(一) 使用目的

店舗(飲食店)

(二) 契約期間

昭和五三年一一月一日から同五九年一〇月末日までの六年間

(三) 賃料

一か月一三万七五〇〇円

(四) 賃料支払方法

毎月二五日までに翌月分を支払う。

(五) 保証金

原告は被告に一二一〇万円を支払う。

(六) 保証金の返還

契約期間が満了して明渡が完了したときに返還する。但し、中途解約の場合は、本件建物部分の新賃借人と被告間で契約が成立し、保証金の入金について協議が成立したときに返還する。

3  原告は遅くとも昭和五六年四月二〇日までに保証金一二一〇万円を被告に支払った。

4  原告の取締役、(代表者)渡邉美穂(以下、渡邉という。)は昭和五六年三月三日に取締役を辞任し、同日開かれた社員総会において原田美保子が原告の取締役(代表者)に選任され、同日取締役変更の登記がされた。

5  ところが右渡邉は、同年四月二〇日、原告に無断で勝手に原告代表者であるとして被告との間の前記賃貸借契約を合意解約し、被告から保証金一二一〇万円の返還を受けた。

しかし、渡邉には原告の代表権も代理権もなかったものである。

6  原告は渡邉のした右合意解約はこれを追認するが、保証金の受領については追認しない。

そうすると、本件建物部分の賃貸借契約は終了し、原告は被告に昭和五六年四月二〇日にこれを明渡したから、被告は原告に対し保証金一二一〇万円の返還義務を負っている。

7  よって、原告は被告に対し、保証金一二一〇万円及びこれに対する支払期日の翌日である昭和五六年四月二一日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因1項ないし3項の事実は当事者間に争いがない。

二  昭和五六年三月三日に渡邉が原告の取締役を辞任し、原田美保子が原告の取締役に就任した旨の登記が右同日されていることは当事者間に争いがない。

しかし、《証拠省略》によれば、渡邉は原告の取締役であるとして、昭和五六年三月三一日に被告との間で本件建物部分の賃貸借契約を同年四月二〇日をもって解約することを合意し、右四月二〇日に被告から保証金一二一〇万円の返還を受けたこと、被告は昭和五六年三月三一日に渡邉から原告の印鑑証明書の交付を受けたが、右証明書は同年二月一二日発行のもので原告の取締役は「渡邉美穂」とされていることが認められる。

三  そこで渡邉が昭和五六年三月三日に原告の取締役を辞任したかどうかについて判断する。

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は昭和五三年一〇月に被告から本件建物部分を賃借して、ここで「ヴイ」という名前のクラブを経営していた。原告の代表者(取締役)は渡邉、監査役はその夫の壮一であった。

2  原告は昭和五四年頃から現在原告の代表取締役として登記されている平原一雄(税理士である。)に原告の経理事務の処理を依頼していた。

渡邉は平原に原告の運転資金の借入れを依頼し、実質的には平原の経営する会社で平原の事務員である原田美保子が代表取締役となっている株式会社大成エンタープライズが原告に対し、昭和五五年秋に二〇〇万円、昭和五六年三月三日に三〇〇万円を貸付けた。

3  平原は渡邉に対し、右の五〇〇万円の貸金の担保として本件建物部分についての賃貸借契約上の権利(店舗内の造作設備及び備品を含む。)を株式会社大成エンタープライズに譲渡すること、渡邉は原告の取締役を辞任し、渡邉らが有する原告の持分を全部株式会社大成エンタープライズに譲渡することを要求し、渡邉はこれを承諾した。

そして、これに伴って、昭和五六年三月三日に平原と渡邉との間で平原が予め準備していた契約書とその他の必要書類への調印がされた。

すなわち、売渡担保契約書(原告は株式会社大成エンタープライズに対し本件建物部分についての賃貸借契約上の権利を代金五〇〇万円で売渡すが、渡邉はこれを昭和五六年九月二日までに五〇〇万円で買戻すことができること、渡邉は本件建物部分及び造作備品を毎月三一万円を支払って引続き使用収益することができること、渡邉が昭和五六年九月二日までに右買戻しをしないときは、本件建物部分を株式会社大成エンタープライズに明渡すこと、渡邉は原告の取締役を辞任し、渡邉が有する原告の持分一三五〇口、社員中村伴子が有する持分三〇〇口及び社員壮一が有する持分一三五〇口はいずれも株式会社大成エンタープライズに譲渡すること等の条項を含む。)には渡邉が原告の代表者及び個人として署名、捺印した。渡邉の持分の譲渡証には既に渡邉の記名があり、渡邉は捺印だけをした。壮一及び中村伴子の持分の譲渡証には渡邉が氏名を代筆し、名下に渡邉が持参してきた印を押捺した。「昭和五六年三月三日の有限会社ヴイの社員総会に出席し、議決権を行使する一切の件」を渡邉に委任する旨の委任状には、渡邉が壮一の名下に原告の代表者印を、中村伴子の名下に中村の印を押捺した。昭和五六年三月三日付の社員総会議事録(取締役渡邉、監査役壮一が辞任し、原田美保子が取締役、平原千江が監査役にそれぞれ選任されたという内容のもの。)の「議長代表取締役渡邉美穂」の名下に渡邉が原告の代表者印を押捺した。渡邉の取締役の辞任届及び壮一の監査役の辞任届にはいずれも渡邉が署名し、捺印した。

なお、原告の社員の一人であった中村伴子は渡邉の妹である。

以上の事実が認められる。

《証拠判断省略》

そして、右認定の事実によれば、渡邉は原告の取締役を、壮一は原告の監査役を辞任し、また渡邉らが有していた原告の持分は株式会社大成エンタープライズに譲渡されたものである。もっとも、壮一及び社員の中村伴子とは、平原はこの件に関して直接折衝はしていないが、前記のとおり壮一は渡邉の夫、中村伴子は渡邉の妹であって、渡邉は右両名からこの件についての処理を一任されていたものと推認することができる。

また、前記認定の事実によれば、渡邉らの辞任に伴い、原告の取締役には原田美保子が就任したものである。昭和五六年三月三日に実際に原告の社員総会が開催されたことを認めるに足りる証拠はないが、前記のとおり社員総会議事録が作成されており、これには渡邉が記名、捺印しているほか、原田美保子も署名、捺印しているから、原田美保子を原告の取締役に選任する旨の決議は有効にされたものというべきである(有限会社法四二条一項ないし三項。社員が渡邉、壮一及び中村伴子の三名であったとすれば、壮一及び中村伴子から一任された渡邉が原田美保子を取締役に選任する旨の書面による決議をすることに同意しているものというべきであるし、持分が全部株式会社大成エンタープライズに譲渡され同会社が社員になっていたとすれば、同会社の代表取締役原田美保子が書面をもって同意を表しているというべきである。)。

四  そうすると、被告から保証金の返還を受けた渡邉は、その当時は既に原告の代表者ではなかったことになるが、本件に有限会社法一三条三項によって準用される商法一二条の適用があるかどうかについて検討する。

1  商法一二条にいう正当の事由とは、交通・通信の杜絶、登記簿の滅失・汚損のような登記を知ろうとしても知ることができない客観的障碍事由をいうものと解するのが相当である。

渡邉の取締役辞任の登記がされた登記簿は昭和五六年三月三日の数日後には閲覧することが可能であったものと推認され、本件合意解約(三月三一日)あるいは保証金の返還(四月二〇日)の時期までには相当の日数を経過しているのであるから、本件においては右の正当の事由があるということはできない。

2  もっとも、商業登記に優越するような外観ないし特別事情の存在するときもまた正当事由がある場合に該ると解する余地がないではない。

しかし、商業登記は、商人の営業上の事項を公示して集団的な営業活動につき、その円滑と安全とを保持する制度であり、商法一二条の定めは、商人の取引活動が一般私人の場合に比し大量的、反復的に行われ、一方これに利害関係を持つ第三者も不特定多数の広い範囲の者に及ぶことから、商人と第三者の利害の調整を図るために、一般私法である民法とは別に特に登記に同条所定の効力を賦与し、個別的な通知等をしなくても登記事項を第三者に対抗できることが必要であり、またこれを相当とするとの趣旨に基づくものである。したがって、商法一二条の正当の事由は客観的障碍事由に限るとすることについての例外をあまりに広範に認めることは、そもそも商業登記制度が設けられた目的ないし商法一二条の定められた立法趣旨を没却することになるのであって、にわかに賛同することができない。正当の事由は客観的障碍事由に限らないと解するとしても、その例外は極めて限定された場合にだけ認めるべきものであって、これを大幅に緩和することは許されない。

そして、本件においては登記に優越するような外観ないし特別事情があったことは認めることができない。

渡邉は昭和五六年二月一二日付の原告の印鑑証明書を提出し、三月三一日及び四月二〇日にもなおこの代表者印を所持していたものと認められるが、この事実だけでは直ちに登記に優越する外観ないし特別事情があるものと解することはできない。

他に右のような外観ないし特別事情が存在したことを認めるに足りる証拠はない(被告は、渡邉は工藤まつ子との間でも原告の代表者として本件建物部分の賃借権の譲渡契約を締結している事実を指摘しているが、この賃借権譲渡は被告との間の賃貸借の合意解約に関連して、その一環としてされたものであるから、新たな外観を付け加えるという性質のものではない。)。

したがって、商法一二条にいう正当事由の範囲を客観的障碍事由に限定せず、これを若干緩和するとしても、本件においては正当事由があるということはできない。

五  以上のとおりであるから、被告は保証金を渡邉に返還したことをもって原告に対するその返還債務を履行したとすることはできず、なお原告にこれを返還する義務がある。

なお、被告は渡邉に昭和五六年四月二〇日に保証金を返還しているから、同日までにはこれを返還すべき期限が到来していたものと推認することができる。

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢崎秀一)

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